1688、新緑の高尾山へ

4月21日から行った五島列島のブログが終わらない。月日は今や6月である。
先月は高尾山へ行ってきた。24日のことである。少し季節感が大事かなと、割り込みで高尾へ行く。



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高尾へは我が家からだと、横浜線と中央線を乗継、さらに京王線で行くことになる。行程1時間ほどの距離である。意外に横浜線も空いており、のんびりと座りながらの高尾行きであった。高尾山はかつては夕方のビアガーデン代わりに行ったもので、馴染みの山ではある。ミシュランの三ツ星など貰うから、なぜか疎遠になっている。どうせ混んでいる、と思うから足が遠のくのだ。京都や奈良に行かないのと同じで、妙な外国語が氾濫する観光地は敬遠したくなるというものである。いつまでも悪態をついていても仕方がないので、このくらいにしておく。

実は高尾登山鉄道の切符が手に入り、ならばと高尾に足を向けたわけで、高尾山口からただ只管登山電車の乗り場を目指す。5月にしては暖かすぎる日であった。登山電車は遠足の幼稚園園児で超満員で、賑やかなことこの上ない。でもお行儀が良いこと、我々のときとは雲泥に差がありそうで、みな可愛らしい孫たちに見える。



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ミシランの効果があちこちにある。確かに人が多い。外人もいる。山の上には公衆のトイレも造られ、水飲み場まで造られていた。もっとも、あの中国でさえ世界遺産の場所のトイレは磨いたようにきれいだ。日本であればこのくらいは当たり前というところだろう。道も整備されている。危険な場所も少ないようであったが、どうやら山の上の神社の意向が強いらしく、頂上までの道はどこまでも神社の中を進むルートになっている。仕方なく、奥の院まで階段を進むことになる。くだんの幼稚園児たちも、石段の道を汗を垂らして登っていた。もうすぐでお山の上だよ、とついつい、なぐさめつつすれ違うほどである。かつては別のルートがあり、奥の院まで無理強いされた記憶はない。頂上に着くと、初めて見る高尾名物が昔からのもののような顔をして売られている。アジア系の言語がことさら大きく聞こえる感じで、私たちは早々に下山した。


山下のグルメは高橋の蕎麦である。自然薯のおろしと蕎麦をたのみ、ビールのあてに出汁まきを加える。このガソリンで、実は帰り道に代々木まで寄り道した。京王線で明大前まで行き、下北から代々木八幡まで行き、エッグタルトをゲットする。リスボン以来、みなと横浜に行ったり、地元のパン屋を覗いたりしたが、代々木八幡があたりだった。ガソリンが利き、実に美味しいエッグタルトを買うことができた。



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ところで、高尾のことだが、緑が美しく、山の上の眺望も最高だった。当日は富士山も望め、少し暑い感じではあったけれど、まずまずの登山日和だった。
薬王院で久方に御朱印を頂いた。初めてから10年余り、善光寺で始めた御朱印帖も6冊目となり北は北海道から九州鹿児島まであちらこちらのお寺の思い出が詰まっている。
以上高尾山追記である。































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